shyly,shiny,afternoon.

 それは土曜日。昼までの授業をうけて寮へ戻り、ひと息ついた時のこと。
「んじゃぁ、行ってくるわ。――約束忘れるなよ?」
と、「お日様のような」という形容が相応しい笑顔を残し、光流は出ていく。コーヒーを飲んでいた忍はカップを片手にその様子を眺めていたが、ドアが閉じてもなお、そのままでいた。そして、相当の後にカップを置き口元に触れてみて、はじめて。指先が震えていることに気付いた。
(これも借りのうちに入るのだろうか。いや、しかしこれは……)
 のろのろと立ち上がりながら、すこし眉を寄せる。忍は、はっきりしない心持ちで主不在の机を、日が暮れかけた窓の外を、飲みかけのコーヒーカップを、そこかしこを繰り返し眺めて。そして決めた。
「まずは食事だ」
 こんな、完全に光流のペースに引きずられているという状況に対して腹も立たなければ悔しくもないなんて、奇妙だとしか言い様がなかった。
(これはきっと、脳を活性化させる栄養素が不足して判断力が鈍っているのだな)
そう考えた忍は、丁度食堂は混み合う時間帯だったが、致し方ないと食堂へ向かった。

「よー忍。光流は?」
「今日は家に帰っているが」
「戻りいつ?化学の共同レポートので、話があってさ」
「多分明日の晩だな。伝えておこう」
「そうか?助かるわー」
 いつもと違い、調子はずれの鼻歌やくだらない冗談が耳元で繰り返されない所為だろう。満席に近い食堂が静かに感じられた。忍は光流の所在を尋ねられながらトレイに食器をのせ、腰を落ち着ける先を探す。すると、窓際の一角に馴染みの一団をみつけた。蓮川達だ。
「あっ、忍せんぱーい!こっちこっち、こっちー!」
 瞬に呼ばれ、忍は僅かに目を細めた。彼等の隣が空いていたところで、今日は光流絡みの者と顔を合わせる気にはなれなかったからだ。一瞬聞こえない振りをしてそのまま歩み去ろうかと考えたものの、人目がある中でこれほどの声で呼ばれてはそうもいくまいと、仕方なく窓際へと向かった。
「元気の良いことだな」
 僅かに皮肉を滲ませながら席に着いたが、瞬は嬉しそうに言う。
「忍先輩が来るかもって、席をとってたんだー」
「そうか、悪いな」
「ううん!光流先輩に聞いていたから。お家の手伝いがあるから今週末は帰るって。ねっ、すかちゃん」
「ふへっ?…あっ、そ、そうれす!」
「ちょっとー、すかちゃんお行儀悪いよー」
「なんだよ。瞬が急に話を振るからだろ」
「えぇっ、僕のせいだって言うのー?栃沢はどう思う?」
「…や。いや……それは、」
 下級生たちが賑やかに会話する中、忍はこれ幸いと食事をはじめた。さっさと食事を済ませて、あとは考えていたかったのだ。この曖昧な気分を、はやくどうにかするために。


*****


 翌日は、目覚めてみれば上天気だった。木々の葉が色付いて気温は低くなっていくばかりの近頃だが、部屋に籠もっているのは勿体ないと思うのだろう、外出する寮生が多いようだ。忍自身も、今日はこれから出掛けなければならない。それは決して嫌な用事ではなかったが、昨日からのことが引っ掛かっているために憂鬱を感じてもいる。
 結局、いくら考えても忍の気持ちはおさまりの悪いままだった。しかし、この憂鬱さは昨日の出来事だけが原因となっているわけではない。随分前からそれらしき兆候はあったものの、光流も忍も、敢えてその部分を掘り下げないようにしていたのだ。何を思ってかは知らないが光流が意思表示をしたのが昨日だったから、不意打ちをくらって調子を狂わせているだけの話である。
「あいつ……何で、」
 たかが身支度ひとつするのに躊躇っている自分が情けなくて。苛立ち紛れに文句を言いかけてみても、後が続かない。こんなことなど一度だってなかったというのに、繋げるべき言葉がみつからないのだ。でも、時計の針は容赦なく動き続けている。いい加減に支度をしなければ、約束の時間に遅れてしまうことだろう。
 忍は、軽く唇を噛んだ。余計なことをしてくれてと思う反面、心の片隅を浮き足立たせている自分がいる。躊躇いつつ期待して、反発しつつ喜んで。考えれば考えるほど、そんな自分を認識せざるを得ない。そうなのだ。あんなことを言われても、忍は決して嫌ではなかったのだ。

「忍、明日ヒマ?」
「酷く忙しいわけではないが、それなりにやっておきたいことはある」
「あー…、そうじゃなくってだなー」
「何だ」
「おれが聞きたいのは、おまえが明日誰かと約束しているかどうかっていうこと」
「ああ、そういった予定は入れていない」
「そうか。じゃあ、明日映画でも見に行かねぇ?おれの奢りでいいから」
「?」
「嫌なら、いいけどよ」
「嫌も何も、今日明日は法要の手伝いがあるのだろう?」
「明日は午前中だけ。だから、午後から。いいだろ?」
「構わないが、随分と回りくどい言い方をするな。がめついお前が奢るなんて、何か後ろ暗いことでもしでかしたか?」
「違うって!ひでぇよ忍。なんでってそりゃ、そんなの――」

 あのとき、らしくない歯切れの悪さで言葉を重ねる光流に、忍は人の悪い笑顔で問うたのだ。なのに。
「あの馬鹿」
寮を出る前も後も、昨日の会話を数え切れないほど思い返した。それでも、最後に光流が口にした言葉には、未だにどう反応すればよいのか分からない。
 駅前の雑踏の中で時計を確認すれば、約束の時間まで20分以上ある。待ち合わせ場所はここから目と鼻の先だが、ざっと周囲を見回してみても光流はいない。これではまるで、自分だけが今日のことを楽しみにしていたように感じられる。
 忍は小さな溜息と共に足を進め、隅の柱に背中を預けた。


*****


「悪い!待たせちまったか?」
「1分34秒の遅刻」
 忍は、息をきらしてきた光流にそれだけを言った。沢山の人が行き交う中で、柱の陰に潜むようにしていた忍をあっという間に見つけたのは褒めてやっても良いと思う。しかし、遅刻は遅刻だ。嫌味のひとつも言いたくなる。忍は人の群を眺めている素振りで、幾度も腕時計に目を走らせていたのだ。そのうちに「まさか自分は謀られたのだろうか」。とか、「自分との約束など面倒くさくなってしまったのだろうか」。などと考えはじめもして、自身の後ろ向きさ加減と卑屈さに呆れ返っていたところだったのだ。
「自分から言い出しておいていい度胸だな」
 昨日の今日だからなのか。光流と顔を合わせてしまえば、感情の乱れを隠すことが出来ない気がした。しかし、そんなところは人に見せたくない。忍は、憎まれ口を叩くと同時に何かを言いかけていた光流から顔を背けた。そうやって歩き出せば、直ぐに光流が隣に並んでくる。
「忍、埋め合わせはするって。そんな顔するなよ。なっ?」
「そんな顔とはなん……っ、」
 ポンと。肩先に手をかけられて顔を覗き込まれたら、何も言えなくなってしまった。すると光流は、困ったように笑う。そして、忍がいままでに見たこともない笑顔のまま、片手を差し出してくる。
「だから、そんな顔。――ゴメンな、行こうぜ」

―― そんなの、忍が好きだからに決まってんじゃん!
   ついでに、おまえの気持ちも把握してる。異議も苦情も受け付けねぇから、そのつもりでいろよ? ――

 茫然自失とは、こういった状態を言うのかもしれない。昨日向けられた告白の言葉が、頭の中をエンドレスで流れていて。そして気が付けば、僅かに汗ばんだ手に右手を掴まれており、ぼんやりと光流の背中を眺めながら歩いている。
「貴様、何をしている」
「うぉっ?」
 咄嗟に空いている左手で光流の手を引き剥がしたら、驚き顔の光流が忍に向き直り、そして笑った。
「痛ぇ〜。今日の忍、面白すぎ」
「……うるさい。巫山戯るのもいい加減にしろ」
「巫山戯てなんかいねえよ?」
「じゃあどうして、あんなことを言った。あんなのは冗談なのだろう?」
 唇を拳固で軽く抑え、くっくっと笑っている光流を見ていたら、自然と責めるような口調になっていた。けれども光流は気にする風でもなく笑い続け、思い出したようにさらりと答える。
「いや。悪いけどおれ、至って真面目だから」
「嘘をつくな」
「嘘でもないって。予想以上に灰被り姫が大人気で焦ったかもしれないけどな」
「灰被り?文化祭の劇がどう関係あるというんだ」
「ま、それはそれだな。今日の予定には関係してこないし」
「…………」
 釈然としない忍の返事を待たずに。はやく行こうと、光流は忍の背を軽く押して、促す。忍は光流のペースにもっていかれたことが悔しくてならなかったが、何故か足だけは素直に動いていた。しかも、あろうことか
「たまにはいいだろ?おれがわかっていておまえがわからないことがあったって」
などと言われて頷いてしまったりした。けれどもその頃には、不思議と先程までの悔しさが薄らいでもいて。周囲のざわめきを聴きながら、時折光流の姿を盗み見て。そして、そんなふうにして歩いているうちに忍は気付いた。
「光流。おまえ……襟足、髪の毛が濡れているぞ」
「あ、わかる?急いでいたから半乾きで出てきたんだわ」
「シャワーなど浴びていて遅刻するんじゃ世話無いな」
「はは…、悪かったって。でも、初デートが線香の香りっていうのもどうかと思ったんだよなー」
「――――。風邪ひくぞ」
「おっ、サンキュー!でも、すぐ乾くから大丈夫だって」
 何が初デートだと呆れてハンカチを差し出すと、光流はほんの一瞬足を止めて、ぱあっと顔を輝かせる。
「いやー、今日はいい日だ!……っと、忍も昼飯まだだよな?何食いたい?」
(この、馬鹿者が)
 お日様のような光流の笑顔を見ながら、忍は溜息をついた。どうしてどうして。こんな経験不足のお子様にひきずられているというのにそれが嬉しかったりするのだろうと、そう思いながら。

FIN
2005.6.11


1000番HITでKOTO様にいただきましたー!
リクエストは「ど甘なみつしの」でした!
愛、一直線な光流に、照れてるぽい忍さんがかわいらしい、あま〜いお話です!
幸せです…ありがとうございます!
KOTO様のサイトはこちら!→
ここはみつしのサイトです。

実は、この作品は去年2005年の6月11日にいただいていたのですが、貰った小説を自分のサイトになどのっけてはいけないのかと思い、個人でこそこそと楽しんでおりました…。
しかし、ネット生活を重ねるにつれ、載せてもいいんだ!ということに思い至り、つい先日、サイトに載せる許可をお願いしたのでした。 えらく鈍重な反応ですみません…!
これからも素敵なみつしのをよろしくお願いいたします!

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送