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【聖夜の情景】

1>いつもの4人


12月24日。緑都学園に冬休みがやってきた。
後、数日で緑林寮は冬ごもりと呼ばれる閉鎖期間に入る。今日の夜から早速、郷里に帰る者などもいて、寮内は慌しさに包まれていた。
そんな中、例によって例のごとく、池田光流が言い出した。
「いい提案があるぞ!今日は『学業お疲れ様また来年そんでもってクリスマス会』っつーことで買出しなんてどーだ!」
「…提案じゃなくて、命令ですよね?」
 自室の210号室をすでに半ば引きずり出された蓮川一也は、恨みを込めて襟首を掴んでいる光流を見上げた。
「わぁーい!行く行くぅ!」
 賑やかなことの好きな如月瞬はあっという間にパステルカラーのダッフルコートを着込み、準備を済ませている。
「一応、言っときます。何で俺が買い出しに付き合わなくちゃならないんですか」
 諦めの混じった、幾分迫力に欠ける抗議を光流は一蹴した。
「後輩だからだ!おらいくぞ!」
「いい加減、慣れたらどうだ?」
 背中を光流に押されてよろける一也の脇を、姿勢のいい影が通り過ぎる。ロングコートに身を包んだ手塚忍は、瞬と連れ立って先に行ってしまった。
「…わかりました。わかりましたから…せめて着替えぐらいさせてくださいよ!」
 一也の悲鳴がいつものように寮内にこだました。


冬の冷たい空気がほんの少し緩んだ午後も遅くなり、段々と温度を失っていく夕刻時。
にもかかわらず、商店街はクリスマスカラーで賑やかに飾り立てられ、道行く人々の活気に溢れていた。いつかどこかで聞いたことのあるクリスマスソングがエンドレスで流れる中、人込みを掻き分けるように4人は歩いていた。
「すっごい人だねー」
 瞬が感心したように言う。
「何もこんな大騒ぎしなくてもいいのにな」
 一也が漏らした呟きを、光流は聞き逃さなかった。
「まー、かわいい彼女との楽しい思い出なんざ縁がなかったろうからなあ」
「…言ってくれますね。俺にだってちゃんとクリスマスの思い出くらい…」
「えー何、何!?」
「ほー。そんなに自慢がしたいのか」
 瞬と忍に迫られて、一也が自分の失言に顔色をなくす。
「言ってもらおうじゃねぇか。そのクリスマスの思い出とやらをよ」
 そう言って意地悪く笑みを見せる光流に、一也は屈した。
 忍に言われるまでもなく、自分は負けることに慣れつつある、と失意に肩を震わせながら。


2>蓮川一也のクリスマス


あれは中学3年生、受験直前のクリスマス。
その日終業式を終え、一也は唯一ともいえる自慢の足で学校を飛び出した。
父を早くに亡くした蓮川家では、母は仕事に忙しく、クリスマスといえども家にいたことはなかった。
その母も亡くなり、いよいよ二人きりになっても蓮川家のクリスマスの習慣は変わらなかった。
兄の一弘がケーキとチキンを買ってくる。特にお祝いをするわけではないが、クリスマスの夕食はこれと決まっていた。
プレゼントは互いに用意したことがない。自分が兄に何かを送るのも気恥ずかしいし、一弘からプレゼントを貰う気もなかった。最近は特に、兄に腹立たしさを感じる一也であったが、プレゼントがないからと言って恨むほど感謝をしていないわけではなかった。
それにもともと、この手のイベントに関心が薄いということもある。周りが騒げば騒ぐほど、妙にしらけてしまう傾向が一也にはあった。
だがしかし。
今年の一也は違っていた。家へと向かう足は自己記録を塗り替えるほどスピードが乗っている。しかし顔はだらしなく緩みっぱなし。
(早く、早く帰らなくちゃ、すみれちゃんが来ちまう!)
「ただいまー!!」
 古い平屋の自宅の鍵を乱暴に開ける。習慣で誰もいなくても挨拶はしてしまう。しかし普段より格段に大声になるのは興奮が収まらないからだ。
『一也くん…クリスマスは何か予定ある?お友達と集まるとか、彼女とデートとか』
 この前の日曜日、今年最後の家庭教師の日、すみれにそう聞かれ、一也は慌てて否定した。
『かっ彼女なんて…!』
『じゃあ、クリスマスはあいてるの?わたし、ケーキ焼いてくるから遊びに来てもいい!?』
 一也は首がもげるほど何度も頷いた。
 一也の受験のための家庭教師はこの日曜日から来年の5日まで、冬休みということになっている。その間、すみれと会えないと落胆していた一也はこの幸運に、普段は顧みたことのない神に感謝した。
 そう、今年のクリスマスは、特別なのだ!!
 まずは、冷たい外気にもめげず、家中の窓を開けて換気。ざっと部屋を片して簡単に掃除機かけ。そして窓をきっちり閉め、寒い中をやってくるすみれのため、石油ストーブに点火した。
 部屋がほんのり暖かくなったころ、玄関の開く音がした。一也は玄関に駆けつける。
「ただいま」
「おじゃまします!」
「…え…なんで、一緒?」
 一也はやきもちを焼く前に唖然とした。なぜか、一弘とすみれ、二人同時の帰還だった。
「今日は買出しがいろいろあったからな。すみれを呼んで手伝って貰ったんだ」
 激しく不満な一也だったが。
「ごめんね、一也くん、待たせちゃって!おなかすいたでしょ?」
 その言葉に幸せ一杯になり、ただ首を横にふるしかできなかった。
「今日はお客もいることだし変わったモン作ろうと思ってな。兄の腕前を知るいい機会だぞ、弟よ」
 そう軽口をたたいて台所に買い物袋を運び込む一弘。
「あ、蓮川先輩、手伝います!」
「あ、俺も…」
 しかし蓮川家の台所は二人立てば満員だった。
 あっさり追い出された一也は、仕方なく居間のコタツに戻る。
「はい、一也くん、お茶!」
 目の前に熱い煎茶が差し出された。にっこりと笑うとすぐ台所に戻って一弘と楽しそうに食事の支度をするすみれ。その姿を眺めるだけで一也の胸は温かく満たされた。
 やがていい匂いが台所から漏れてくる。
「はーい!できましたよー!」
 次々とコタツに運ばれる料理。
「いただきます!」
 みんなで揃って食事をする。家中に満ちる穏やかな空気。
 やがて目の前の料理が綺麗になくなって、すみれが帰る時間になった。
「あっ…じゃあ、俺、送り…」
「今日は俺が送ってくから、一也は留守番をしていなさい」
 勢いよく立ち上がった一也に、めずらしく一弘がそう言った。
「え!?」
「お前、何も作らなかったじゃないか。だから後片付け、よろしくな」
「な…!」
「一也くん、今日はとっても楽しかったわ。ありがとう!また来年、一緒にがんばりましょうね!」
文句を言いかけたが、すみれの満面の笑顔に苛立ちがあっさりと霧散する。
「…うん」
 …今日は何ていい日なんだろう。
 肩を並べて去っていく一弘とすみれをいつまでも見送りながら、これがクリスマスだというなら皆が騒ぐのも無理はない、と一也は思った。
  

「…楽しいクリスマスの思い出…なのかそれ?」
「どーいう意味ですかっ!?」
 つぶやく光流を一也が睨みつけると、視線をわざとらしく外された。
 忍は体ごとあさっての方角を向いてため息などついている。
「それだけ見せ付けられて、なんで気付かなかったのさー!?」
 瞬はハンカチで目元を拭っていた。笑いすぎて涙が止まらないらしい。
「くっ…。じゃあ聞きますけどね!光流先輩にはどんな素敵な思い出があるっていうんですか!?」
「俺かー?そーだなあ…」
 光流は記憶の中に残る、様々なクリスマスの光景を遡っていった。


3>池田光流のクリスマス


 家が寺だからと言って、全くクリスマスに縁がなかったわけではない。
 季節が来れば、小さなおもちゃのツリーが物置から引っ張り出されてくる。それを飾り付けるのは光流と正十の仕事だった。
 二人の感性は激しく異なっているようで、飾りを一つぶらさげる場所にもここじゃない、そこじゃないとけんかをしながら作業する。完成するまでには時間がかかったが、出来上がりにはいつも満足で、二人並んでいつまでもツリーを眺めていた。
 クリスマスの夜になればいつもの夕食に、鳥のモモ焼きとケーキが添えられる。忙しい母はケーキを焼く暇などないので、近所のパン屋で注文したものだ。
 夕食後、母がホールケーキを切り分ける。縦、横、斜めの8等分。父、母、祖父が1個ずつ、光流と正十に2個ずつ配られる。
 すると1個ケーキがあまる。それを兄弟で奪い合う。あまりに兄弟喧嘩の度が過ぎると、母の拳が飛んでくる。
 それさえも楽しく感じられる幸せな日だった。
 毎年がそんなクリスマスだったので、その出来事があったのはいつのことだったか、光流は正確には思い出すことができない。冬なのに半ズボンだった記憶が微かにあるから、小学校低学年くらいだろうか。
 その日は、酷く寒い日で、あかぎれで足が痒かった。しかし、待望のクリスマスなのだ。朝から正十と大騒ぎをし、何度も母に叱られた。
 その頃にはもう、自分がこの家の本当の子ではないことを…ここにいる両親とは別に本当の両親がいるのだということは知っていた。
 だが、この家の本当の子だという正十と光流を両親は全く区別しなかったから、ただその言葉だけが頭に記憶されているだけだった。
『自分は養子である』、と。
 そのことが自分にとってどんな意味を持つのかなど、幼い光流は考えることもなかった。
何度注意をしても一向に静まることのない二人に母は、そんなに元気が余ってるならお使いに行きなと小さながま口を渡して表に叩き出した。
 光流と正十は連れ立って走り出す。お使いの先はいつものパン屋だった。注文してあるケーキを引き取りにいくのだ。今まで何度も行かされたことのある店なので、不安は全くなかった。
 それどころか二人でさらに興奮した。ケーキの引き取りを任されたのは初めてだったのだ。
 冬の町を勢いよく駆け抜ける。パン屋のある商店街は家から歩いて5分と離れていない。
「「こんにちは!」」
 二人そろってパン屋の扉を押し開ける。暖かい空気と香ばしいパンの匂いに包まれた。
 ケーキの並んだガラスケースから、若い女性が顔を覗かせた。見知ったパン屋のおばさんではなかった。全く知らない人だ。商店街の人達とは懇意にしていたから少し驚いた。
 その人が、言った。きっと、何の気もなく。ごく普通に。
「あら、お友達とお買い物?」
 愕然とした。
 今までに、そんなことを言われたことがなかったのだ。自分は池田家の家族の一員で、正十の兄で、近所の人も皆そういう風に自分を認識している。
 はずだった。
 隣の正十を見る。正十も驚いて目を丸くしている。
 全く自分に似ていない弟の正十が。
そして唐突に気付いてしまった。
年齢に相応しい狭い世界の中で、誰もが自分と家族のことを知っているというルールの中でだけ、自分は池田の家の人間なのだと。
「ちがう…兄弟だ」
正十の怒りを含んだ声が耳に刺さる。
それから目的のケーキを受け取って、店員に背を向けた。彼女は突然機嫌の悪くなった正十と無表情に黙り込んだ光流に怪訝な視線を向けていた。
夜。
いつものクリスマスの夜。普段と変わらない、煮つけや味噌汁、白米に、鳥のモモ焼きとケーキの夕食。
ケーキをいつものように切り分けて、父、母、祖父が1個ずつ。光流と正十が2個ずつ食べて。
 最後の1個。
 光流は手を出すのをためらった。これに手を出してもいいのだろうか。初めて疑問が湧き上がる。
自分に与えられた以上のものに。
パン屋での正十のことが思い出された。あの時、自分は何も言えずにいた。なら、この最後の1個は抗議の声を上げた正十にこそ相応しいのではないか。
正十だけが、正しい権利を持っているのではないか。
だから、正十にあげるといった。喜ばれると思ったのに。
正十は、今まで見たことがないほど怒り狂った。
正十は、大声で叫びながら光流に飛び掛ってきた。食卓の茶碗が倒れる。母が間に割って入るまで、正十の激昂は収まらなかった。
その日、何もかもが急に変わったわけではない。事実は一つで最初から変わってはいない。
ただ、今まで見えなかったものが少しずつ、見えるようになったのだ。


「…や、たいしたことねーや。毎年ツリー飾って、モモ焼きとケーキ食って、そんぐらいだなあ」
「ふふふ…俺のクリスマスの思い出には敵わないようですね」
「ほ、本気でそー思ってんならぼく、スカちゃん尊敬しちゃうよ〜」
「瞬、いつまで笑ってんだ!!じゃ、聞くけどなあ!お前のクリスマスの思い出って何だよ!?」
笑いに声を震わせながら、瞬が応える。
「ぼ、ぼくのクリスマスの思い出はねぇ…小学校6年生の時、かな…」
 

4>如月瞬のクリスマス


 旅館、『如月』のクリスマスは何と言っても豪華絢爛。
 新館ロビー前の吹き抜けには全長8メートルのクリスマスツリーが飾られる。きらびやかな星や天使の飾り物は和風旅館の内装にアンバランスな印象だが、女将である瞬の母親は意に返さない。本館は純和風を頑なに守る代わりに、新館では世間のイベントを着実に踏襲する、それが客商売だと語る母を、瞬は正しいと思う。
 だが、一緒に話を聞いている麗名は違う考えのようだった。
 僅かな休憩時間を、自宅の居間で息子達と過ごした母が慌しく仕事に戻っていくと、麗名は派手に頬を膨らませた。
「おかあさまってば、仕事ばっかり…!」
 それでも母親が去るまで愚痴を我慢した弟を想い、瞬はそっと麗名の髪を撫でる。
「麗名、寂しいの?」
「寂しくなんか、ないもん!…おにいちゃまがいるし」
 そういって、麗名はケーキを頬張った。
まだ、小学校2年生なのだ。母親がいなくても平気と割り切ることは難しい。
仕事で子供を構えない母親は、せめて惨めな思いをさせないように様々に手を尽くしていた。今、二人が食べている東京の菓子店から特別に取り寄せたクリスマスケーキもそうだ。そして、開け放たれた襖の向こう、客間の中心に飾られた2メートルほどのクリスマスツリーも。
 忙しい母親と一緒に飾りつけができたわけではない。しかし、もみの木が届いた日は父親が仕事の手を休めて一緒に飾り付けをしてくれた。飾りものも毎年新しいものを父と一緒に買いに行く。そんな日は朝から夕方まで父がデパートで遊んでくれる。年に一回の、楽しい時間だった。
 白い雪の結晶をかたどった飾りに色とりどりのイルミネーションライトが映り込んで様々な表情を見せている。その中にうずもれるように天使やトナカイがあしらわれている。父親も、ものすごく綺麗にできたと二人をほめてくれた。
 ツリーの根元には大小様々なプレゼントの包みが山になっている。それらは両親や、祖父母、親戚からの贈り物で、今夜、クリスマスイブの夜に開けていいことになっている。
 サンタクロースからの贈り物はそれとは別に、夜中、枕元に届けられた。瞬はすでにサンタの正体を知っているが、まだ疑ってもいない麗名のために黙っている。
「でも、…でもね、おにいちゃま…ホントは…」
 麗名は言いよどんでフォークを齧る。瞬はにっこり笑って見せた。
「なあに、麗名。怒らないから、言ってごらん?今日はクリスマスだから、特別に何言ってもいいよ」
 麗名は顔を上げ、瞬を眩しげに見上げた。
「本当はね、お仕事なんかしないでおとうさまとおかあさまとおにいちゃまと麗名でクリスマスできたらなあって…」
 たとえ小学2年生でも、家の状況はわかっている。今、自分が言ったことが如月家では禁句だということも。だからこそ麗名はすぐに目を伏せた。
 瞬はそんな麗名を抱きしめる。
「…そうだね、麗名。おとうさまとおかあさまと一緒にクリスマスができたらいいよね…」
 瞬もそれを望まないわけはなかった。同級生たちが過ごしているであろう家族とのクリスマスが羨ましくないとはとても言えない。
 しかし、瞬にはわかりすぎるほどにわかっていた。
(…でもこれが、ぼくんちだから)
 瞬は努めて明るい声を上げた。
「今年はねえ、麗名にプレゼントがあるんだー!」
 瞬の腕の中で目を潤ませていた麗名が驚いて顔を上げた。そして小さな手の中に落とされた小さな箱をじっと見つめる。
「開けてごらん?」
 促されて慌てて包みをほどく。中からは小さなリップクリーム。
「かわいいピンク色なんだよー。今夜のパーティーで着るドレスにきっとあうよ…お小遣いで買ったからあんまりいいものじゃないけど…」
「ううん!おにいちゃま、ありがとう!麗名、うれしい!!」
 細い腕で必死にしがみついてくる弟を、瞬はもう一度、強く抱きしめた。
「…麗名、今夜は料理長が特別のご馳走を届けてくれるって。今日だけはデザートのアイスクリームも好きなだけ食べていいって。おばあ様やおじい様も来てくれるから楽しくなるよ…パーティーの終わりぐらいにはお母様も間に合うかもしれないし、ね?」
 瞬の胸に額をこすりつけ、麗名は何度も頷いた。
(そう、これがぼくんちのクリスマス…)


「なんか微妙にツッコミどころ満載のような…」
 ジト目の光流に瞬は不満の声を上げた。
「えーどういう意味―?ちょっと感動したでしょー!?」
「幼い兄弟が母親に焦がれつつ二人身を寄せ合っている…なかなかいい話じゃないか」
「さっすが忍先輩!話が通じるのは忍先輩だけだよー!…あれ、スカちゃんは?」
 きょろきょろとあたりを見回す瞬に、呆れた口調で光流が答える。
「話の途中で機嫌損ねて先、行っちまったぜー」
「えぇっ何で!?兄弟の感動秘話を無視!?もーっ絶対、最後まで聞かせてやる!」
 瞬が走り出す。
 喧騒の中、走る瞬の背を見送る忍に、光流は聞いた。
「で、お前は?」
「何が?」
「お前のクリスマスの思い出ってなに?」
 忍は少しだけ考える素振りを見せたが、すぐに、前方の何かに気を奪われたようだった。
 光流は忍の視線の先を追う。商店街の中心部にあたる広場に、大きなクリスマスツリーが立っていた。
 ツリーは金銀に光るボールを纏い、その頂上には大きな星が金色に輝いている。ツリーの前では、一也と瞬が周りの迷惑もかえりみず言い争いを繰り広げている。
忍はその星を見つめていた。


5>手塚忍のクリスマス


 人、人、人。
 手塚家の広間は、冬だというのに熱気が溢れていた。大勢の人が右往左往している。
 10畳の和室を3間繋げた大広間に、手伝いの人々によって次々と運び込まれる膳。部屋の隅には、手塚家として体裁をつくろえる程度の大きさのクリスマスツリー。業者の手によって飾り付けられたそれは、幼い忍の目にも豪奢に映った。
 クリスマスイブの今夜、ここでは手塚家主催のクリスマスパーティーが開かれる。だが、その催しが自分とは何の関係もないものであることは、5歳の忍にもわかっていた。
 幼い忍が旭や渚の兄姉とその催しに出るのは顔見せのための最初の10分程度で、後は手伝いに連れられてそれぞれの自室に戻る。それが手塚家における催し物の決まりごとだった。
 それは忍にとって望むところだった。
自分の姿を見た客人たちは皆、かわいいですね利発なぼっちゃんだと口々に忍を褒め、プレゼントを押し付ける。
 しかし、言葉もプレゼントも自分に向けられたものではないと気付いたのはいつだっただろう。それらすべてが、自分の背後の人物に向けられているのだ、と知ったのは。
 自分の名を呼び、自分について語り、自分のためにプレゼントまで用意して、けれども自分の存在はどうでもいいらしい。その矛盾に満ちた行動が理解できず、やがて忍は興味を失った。そんなことを詮索するよりは自室に一人でいた方がずっといい。
 しかし、今年のツリーはあまりにも綺麗だった。
 パーティー用に用意された正装に身を包み、準備の人の流れからは外れている縁側の端に腰をおろす。そこからは何にも邪魔されず、クリスマスツリーを眺めることができた。   
白銀に統一されたデコレーションが照明に輝いている。特に目を引いたのは、頂上を飾る銀の星だった。
 銀の星は無数の輝くガラス玉に縁取られている。手に取れば、きっとずしりと重いだろうと忍は想像した。ニセモノの星ではない、本物の重さがある。そんな気がした。
 立ち上り、そっとツリーに近付いた。ほんの一瞬手にとって、また戻す分には構わないだろうと思った。しかし、手塚家御用達の装飾業者が用意したツリーの背は高かった。近寄って、これは到底手が届かないとすぐに悟った。手を伸ばしても無駄だ。
 無駄なことはしない。幼いなりに忍は世間を見て、自分の取るべき行動を判断していた。
 その時。
「あー、クリスマスツリーだー!」
 甲高い声と共に、子供の軽い足音が近付いてきた。
 姉の渚だった。濃紺のワンピースでそれなりに飾り付けられた姉は、忍を押しのけるようにツリーに近付いた。
 クリスマスパーティーが始まるまでにはまだ間がある。それなのにこうして会場に来てしまうのは、渚も子供らしくクリスマスに心の浮き立つものを感じているからだろう。
 忍でさえ、そうなのだ。
 たとえこれから始まる催しがつまらないものでも、このツリーが綺麗なことには関係ない。自室でひっそりと過ごすしかないクリスマスでも、それはクリスマスの罪じゃない。
「綺麗な星…」
 渚がツリーを見上げてつぶやいた。かと思うとそこらへんを飛び回っている大人に声をかける。しかし、忙しい彼らに体よくあしらわれた。
 やがて辛抱のできなくなった渚は自分で取ろうと木の頂上に手を伸ばす。
 ツリーは、あっけないほど簡単に傾いた。大きな音をたてて倒れる。飾りがきらめきながら畳の上に転がった。
 一瞬にして静まり返る大広間。見る見る蒼白になる渚の顔。
 その時、父が大広間の前を通りかかったのは、この姉にとって不幸だったとしか言いようがない。
「渚!」
 大またに近付いてきた父は渚の頬を張った。尻餅をつく渚。
 その後、父は一言もなく、広間を出て行った。
渚は父の背が見えなくなるのを待ってから、火のついたように泣き出した。
 部屋の入り口に、兄の旭が青い顔を覗かせた。兄もまた、クリスマスに浮かれてここまで出てきたのだろう。しかしすぐ、逃げるように踵を返した。
 渚の泣き声が耳につく。うるさいと思った。考えなしにすぐ、欲しいものに手を伸ばす姉。
 しかし。
 では手も出さずに見ているだけの自分は何なのか。
 自分は傷ついている。そのことに気付いた忍は驚いた。


「…ああ、そうだな、あれが欲しかった」
 ツリーの前では相変わらず後輩達が大騒ぎをしている。止めようというのか、光流が二人に向かって歩き出していた。
 2、3歩足を踏み出したかと思うと、振り返る。
「…忍、行くぞ」
 いつもの調子で呼びかけられた。
 忍は一瞬目を伏せて、それから光流の後を追った。
 

6>ちょっと蛇足なクリスマス


 夜中、二段ベッドの上に眠る同居人が出て行ったことには気が付いた。トイレにでも行ったのだろうと思う。明日になれば電車を乗り継いで長野の実家に帰らなければならない忍は、昼間思わず思い出した昔の出来事に胸のつかえを感じつつも、眠ることに全力を傾けた。
 やがてその甲斐あって、再び眠りにつく。
 どれだけの時間が過ぎただろうか。部屋のドアが開く音で忍はまた目を覚ましてしまった。
 文句の一つも言うべきかと考えているうちに、光流の気配が近付いた。
 ハシゴを登る様子がない。おかしいと感じる前に、カーテンがそっと開かれた。
「…何だよ」
「うわっ、起きてたのか!?」
 不機嫌に身を起こす。うす暗がりのなかで光流が目を見開いていた。
「俺は繊細な性質でな。今、目が覚めたんだ」
「あーわりぃわりぃ」
 あまり反省の色を感じさせない口調で光流が謝る。その手にしているものに、忍はようやく気が付いた。
「お前…何を持ってる?」
「んー、あーこれ?…プレゼント」
 いきなり押し付けられたものを見て、忍は絶句した。
 これは、昼間見た、あの…。
「…どうやって取った…?」
「あー?簡単だったぜ?こぶしくらいの石を紐でこう結わいてさ、投げつけると…」
「お前はどこかの狩猟民族か!?これはれっきとした犯罪だぞ!」
「借りただけだよ。明日には返そうと思って書置き残してきたし…」
「よけいまずい!…何だってこんなものを…!」
 忍は、手にした大きな星の模造品を光流の顔面に叩き付けた。
 間違いなく、昼間商店街で見た、あのツリーの天辺を飾っていた星だ。
「だって、これが欲しいっつってたじゃん」
 珍しく動揺していた忍の心が、一瞬で静まりかえる。
 光流の眼差しはふざけた口調に反して、真剣な光を帯びていた。
「欲しかったんだろ、これが」
 何の反応も示さなくなった忍をいぶかしんでか、もう一度同じ事を繰り返す。
 欲しかったのはその星じゃない、とか馬鹿かお前は何独り言を真に受けて、とか、数多の言葉が浮かんだが、言いたいことはそのどれでもなかった。
 黙って光流を押しのける。自分のロッカーから着替えを取り出す。
「忍?」
 のんきな口ぶりに苛立ちを感じながら、光流を睨みつけた。
「返しに行くぞ。馬鹿の尻拭いを手伝ってやるんだ、ありがたく思えよ!」


「いや、まいったねー」
 苦笑する光流を、忍は無言で蹴飛ばした。
 星を密かに返しに行ったところ、商店街の人に見咎められたのだ。二人して頭を下げて、また商店街の人も、悪気なしとよい方に解釈してくれて許してくれた。書置きの存在も、多少事態を好転させるのに役立ったようだ。
「…二度とするなよ」
「しないよ。反省してる」
 忍はため息をついた。
「でもさ。プレゼントなくなっちまって残念」
「何、馬鹿言ってるんだ」
 盗んできたもので、しかも本人は借りてるだけと言い張って、何がプレゼントか、と言いかけた。
 そして、光流が真っ暗な空に目を向けていることに気付く。
「光流?」
「じゃさ、あれなんてどう?」
 指差す先の夜空に、都会の光害にも負けずに輝く星がほんの僅か、浮かんでいた。
 心底呆れて忍が言う。
「…欲しいと言ったらどうするんだ?」
「本当に欲しいなら取ってきてやるよ」
 光流は、なんの躊躇いもなく、そう言った。
 冗談には聞こえなかった。
 しかし。
忍はもう、ツリーの星を見上げるだけの5歳の忍ではなかった。
「…結構だ。欲しいものは自分で手に入れる」
 心の中の煩悶を振り切って隣にいる光流を見る。光流の強い視線が突き刺さる。
「だから、お前は何もしなくていい」
 一瞬、光流は複雑な表情を見せた。何を考えているのか、忍には量れなかった。
 だから、次の言葉は光流のためではない。忍の覚悟のその証だった。
「だが俺が…手に入れたら、見せてやる。わかったな」
光流の表情がふと、緩んだ。いつもの人を食ったような笑顔が浮かぶ。
「…わかった。じゃあ、手に入れろよな」
「ああ」
 忍も口元を緩める。
 クリスマス。何かをただ、与えられるだけで満足していた時は遠い。
 与えたい。
 掴みたい。
 そしてその先にある気持はきっと同じものなのだ。

FIN
2005.7.10


クリスマスは時期外れですよね…。
でも、そういうリクエストだったんです〜!
慌てて書いてしまったので、気が向いたらじっくり書き直したいです。

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