※画面を閉じてお戻りください。

【君の名前を呼びたくて】

春先の暖かい日差しは、その部屋にも柔らかく差し込んでいた。
しかし光流に、その柔らかさを感じる余裕はなかった。
いつもなら、緑都学園の園長室は、その名の堅苦しい印象とは違い、生徒を暖かく迎えてくれる。
それが今は、針のむしろのように光流を責め立てていた。
使い込まれて飴色に光っている調度品に囲まれ、背の高い革張りの椅子に身を沈めたまま何も言わないでいる園長を窺う。
執務机の上に散らばった、一見して良いものと判る文具に視線を落としている園長が何を思っているかは、計り知れなかった。
少なくとも、上機嫌でいる訳はない。
今、園長の前に並んで立っている二人の生徒は、図書室で乱闘した挙句、保健室に担ぎ込まれるという大騒ぎを起こしたのだ。
どんな処置が下されるだろうか。光流は胃の辺りが重く沈むのを感じた。
だが、仕方なかったのだとも思う。
生徒会選挙に関わる違反行為に顕れた、同居人の周囲への不信。 自分も他人も傷付けようとする彼の暴走はなんとしても止めたかった。
確かに喧嘩という形ではなく、もっと別の方法もあったかも知れないとは思う。
しかし光流には別の方法は思いつかなかったし、誰かに相談する気にもならなかった。同居人の、今だよくは判らない心にわだかまる何かを、自分以外の誰かに曝すのは嫌だった。
実家のことが心に浮かぶ。重い処分が下った場合、家族はどう感じるだろう。
「で。どういうわけなのですか?」
静かな物言いが、光流の思考を鋭く断ち切った。
先程から用意していた言い訳を、頭の中で素早く繰り返す。
“友人に対する接し方で、お互いの意見が衝突した(嘘じゃないだろ?)。ささいな事だが、なかなか気持ちが収まらず、自分が先に手を挙げた(これも本当だ)”
優等生な同居人の名声を落とす気はもとよりなかった。このまま緑都の主席の名を背負っていけばいい。ただ、今までのように悪意を振りかざして欲しくないだけだ。
借りを返すと本気で叫んだその姿に、隠されていた本当の心が透けて見えた気がした。
庇うという言葉は傲慢だろう。けれど、初めて見つけたその心は大事にしたかった。
「図書室でのことは…」
「最初は肩がぶつかったのです」
言葉を途中で遮られて、ぎょっとする。
その声は自信に溢れていて、それがでたらめだということを知っている光流でさえ、一瞬本気でそうだったかと信じかけた。
しかし事実はまるで違う。図書館に呼び出し、有無を言わさず、光流から殴りかかったのだ。
「僕がよろけてぶつかりました。わざとではありません。生徒会選挙の活動で疲れていたのだと思います。僕はぼんやりしていて、その時、謝罪をしませんでした」
何を言い出すのか。隣に目をやると、痛々しい湿布を貼った涼しげな顔が真っ直ぐに園長を見据えていた。
「池田は、大丈夫かと僕を気遣いました。けれども、僕は謝罪の機会を失ったことに気まずくなり、言葉を失っていました」
これだけべらべらと話せる人間が言葉を失うことなどあるだろうか。光流は呆れて、それこそ本当に言葉を失う。
「その後」
まだ続くのか。
「池田はそのことで、僕を責めました。一言あってしかるべきだと。けれども僕は、それでも謝罪しませんでした。気まずさから頑なになって、謝りたくないと思ったのです。ですからこの喧嘩の原因は僕が作りました」
なんで、そんな嘘をつくんだ。
「どちらが先に手を挙げたかは覚えていません。売り言葉に買い言葉で、気付いたら殴り合いになっていました。お騒がせして申し訳ありません」
優等生は殊勝に頭を下げて見せた。光流の目にその姿は胡散臭く映ったが。
園長がため息をつく。
「池田君は、どうですか?君の言い分は?」
言い分も何も、全然違うのだ。尋ねられて慌てて園長を振り返る。混乱した頭で、それでも何とか自説を説こうと口を開いた。
「いや、ですから…」
その時、凄まじい圧力を横から感じた。
ちらりと目をやると、絶対零度の視線が光流を貫いた。
『黙れ』
そう無言で恫喝している。優等生とはとても思えない眼力だった。
「どうしました?」
穏やかな園長の問いかけが、たとえ罪の裁断を下すためのものであっても、心地よくさえ感じられた。何でも正直に話そうという気持になる。
しかしそれ以上に、横から叩き付けられる怨念のこもった視線には、抗えなかった。
「…いえ、何でもありません。手塚の言う通り…です」




三日間の謹慎。
それが2人に与えられた処罰だった。
園長に一礼をして、そのドアを出た途端、同居人は優等生の顔をかなぐり捨てた。
不機嫌な皺を眉間に刻み、足早に光流から離れる。
「まてよ!手塚!!」
光流はその伸びた背中を追った。
頭の中を疑問が駆け巡る。
(なんで)
喧嘩を仕掛けたのは間違いなく光流なのだ。その通りに告げてくれて構わなかったのだ。
なのになぜ、あんなわけの判らない小噺を作り上げたのか。
「待てって!…おい、手塚!」
階段を、怖ろしい速さで降りていく優等生を呼び続ける。
しかし、一向に振り向きもしなければ聞こえる素振りすら見せない。背中が全力で光流を拒絶している。
もどかしい。けれども、肩をつかんで無理矢理振り向かせる暴挙に出ることは、さすがにできなかった。何せ謹慎中の身だ。
そうこうしているうちに、昇降口にたどり着く。
光流が革靴のかかとを踏みながら外に走り出た時には、同居人はすでに校門を出ようとしていた。
そんなに急いだところで、二人の帰る場所は緑林寮の同じ部屋だ。遅かれ早かれ顔を突き合わせることになる。
なのに強張った背中で精一杯に平常を装って、尋常でない速さで光流から離れていく同居人。
それを今ここで、どうしても捉まえたいと思う。理由など判らない。
待てよ、待てって、おい…。
「…忍!!」
まるで糸の切れた操り人形のように、唐突に忍は立ち止まった。
そしてくるりと振り返る。
「僕達は、名前で呼び合うほど親しくはないだろう。なあ、池田」
忍は唇の端を醜く歪めていた。笑顔には見えなかったが、恐らく本人はそのつもりなのだろう。
自分に対しては、もう優等生の表情を作れなくなっている。
その事実が、光流を後押しする。冷たい瞳に睨まれても、手の届く距離に踏み込むことを躊躇わなかった。
「いや、…あのさあ」
「なんだ」
「何で、あんな嘘…」
射るような視線が、見下すようなさめたものに取って代わる。
「俺が、そうだと言ったらそれが正しいんだ。判ったか、池田」
その言い草に唖然とした光流を残し、歩き出す。
しかしその速度は、先程より遥かにゆっくりとしたものだった。
追いつける。今すぐにでも。そして横に並ぶこともできる。
なぜ、嘘をついたのか。
歩く速度を落としたのはなぜなのか。
もっと知りたい。忍の気持を。
直接言ってくれるのなら、もっといい。
そんなことは到底、起こり得ないことなのかも知れないが…。
「忍!」
「なんだ、池田」
それを言うなら、こうして隣に並ぶ事も、少し前のことを思えば奇跡だろう。
鬱陶しげに横目で睨む忍に、光流は笑いかけた。
「3日間暇だよなー。どーするよ、忍?」
「…ばかか。謹慎だぞ」
それでも返ってくる言葉に、確信する。
きっと、望んだ者勝ちなのだ。

FIN
2005.10.16


恐らくは、誰もが一度は考えたに違いない、名前を呼ぶまでのお話です。
いろいろ妄想します。まだいろいろなパターンが考えられるなーと思うと、どきどきします。
忍さんが光流を呼ぶ話もいずれ書いてみたいです。まだ内容は思いつきませんが…。

※画面を閉じてお戻りください。

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送