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【楽園】(11)
「じゃ、明日の午後には向こうに着きますんで」
「判りました。よろしくお願いします」
型通りの挨拶をして引越し業者が出て行った。
大学の卒業式を一週間後に控えての引越しだった。
冬休みが終わってからというもの、忍の生活は多忙を極めた。
卒論の発表と卒業試験をこなし、その合間にあの場所へと向かった。
就職はすぐに決まった。館長とのたった一度の面接で、その場で採用を言い渡された。
その後、帰りの飛行機を待つ間、辺りを歩いた。
見慣れない石垣や植物。ぽつりぽつりと点在する、地にへばりつくような低い建物。整備の行き届かないアスファルトの割れた車道。冬だと言うのに湿気でじっとりと重い空気。潮の香り。
そして見たのだ。
我を忘れるほどの絶景を。人生の全てが瑣末に感じられるような美しさを。
あの日思わず電話をして、呼び出されるままにやって来た忍だが、この時始めて心の底から納得した。
これで良いのだ、と。
東京に戻ってすぐに、決まっていた大学院への進学を取り止めるための手続きした。世話になった教授や助教授、院生達へ謝罪して廻る。皆、忍の進路変更を惜しんだが、最後には快く送り出してくれた。
そして、長野の実家へ向かった。
両親や旭は怒っていた。
院に行くことを告げていたから、突然の進路変更に母や兄の怒りは当然のことだと思った。忍が驚いたのは、殆ど口をきくことさえなくなった父が密かに忍の大学院進学を喜んでいたことだった。
忍には頭を下げるしか方法がなかった。やりたいことが見つかったからと押し切って、もの問いたげな倫子の視線を振りきり実家を後にした。
就職先でのアパート探しや準備を進めるうち、いつの間にか3月になっていた。
忙しくて留守がちだったので、光流と電話で話す機会も減っていた。
光流には、大学院進学をを止めたことも、引っ越すことも話してはいない。
隠す程のことではない、と思いつつも口にすることができなかった。
何も知らない光流とささいな話を繰り返すのは苦痛でしかない。全てを片付けてしまいたい気持が日増しに募り、忍は早々にアパートを立ち退くことにした。
単位さえ取っていれば、卒業式への参加は卒業要件には入らない。卒業証書は実家に送ってもらうことにした。
そして今日、この部屋を去る日を迎えたのだ。
忍は引越し作業で埃の舞い散った床を見下ろした。
雑巾を手にとり、床拭き始める。2LDKの部屋はすぐにきれいになった。
汚れた服を着替える。脱いだものを旅行カバンに詰め、雑巾をゴミ袋に放り込む。
荷物を持ち、玄関に立った。
改めて部屋を見回す。全く、何もない。ここで暮らしていたことさえ全て幻のように思えた。
外に出て、鍵を掛けた。
忍は駅前の商店街にある不動産屋に行き、鍵を返した。これで部屋の始末は終わりだ。後は空港に行って、予定の飛行機に乗ればいい。
夕方にはあの場所に着く。外国みたいに奇妙な地名のあの場所へ。
(…本当にそれでいいのか)
ふと、疑問が浮かんだ。
To be continued !
2006.4.11
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