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【楽園】(6)

 運び込んだ荷物を適当に壁に寄せて、引越しは一応終わりということになった。
 光流が仕入れてきた四人前の弁当と、酒類、つまみ、菓子が開いた床に並べられる。
「本日はどうも私のために貴重な労働力をご提供いただきまして、まことにありがとうございます!」
 缶ビールを手に口上を述べる光流に、蓮川がぼやいた。
「…無理矢理手伝わせたくせに…ぐっ!?」
 光流はあっという間に片腕で蓮川の首を絞め、開いた手で缶ビールを掲げた。
「では、かんぱーい!!」
「せ、せんぱい、く、くるし…」
「相変わらずかわいー事言う後輩だなあ、お前は」
「こーはい、こーはいって、もう同じ学年ですけどねっ!」
「…こいつ、随分立派な口を利くようになったじゃねーか」
「蓮川も日々進歩するな。嫌味にキレが出てきたぞ」
「しーのーぶぅぅぅぅ…お前まで」
 こうしていれば、高校の時と何も変わらない。
 それでも確実に時間は過ぎている。蓮川も随分穿ったことを言うようになった。何もかも、そのままでいることなど有り得ない。
 得たものは失う。当然のことだ。
 何を食べても味がしなかった。なかなか喉を落ちていかないものを、忍は強引に水分で流し込む。自然、酒量が多くなった。
「ねー、忍先輩さあ、大学院でたら弁護士さんになるんでしょう?」
 瞬が長い髪を揺らしながら首を傾げる。
「いや、まだ決めてない」
「えー、弁護士にしなよー。それでうちがお客さんとトラブったら超法規的手段で助けてよー」
「案外、腹黒いよな、お前…」
 光流がジト目で突っ込む。
 会話に中断された食事は続ける気になれなくて忍は箸を置いた。後はひたすらコップを口に運ぶ。
 あらかたのものが食い荒らされた頃。
「お前、今年の正月はどうするんだ?」
 目を上げると、光流の妙に緊張した視線とぶつかった。すぐに目を逸らされる。
 いつ頃からか、頻繁に見せるようになった表情。見え隠れする罪悪感。
 今までは、ただ忍に家事を負担させることへの罪悪感だと単純に思っていたのだが。
 光流の引越しという現実を迎えて、忍ははじめて思い至った。
 約束した同居を解消することこそがあの表情の原因だったのだ。光流は随分前から、同居を止めたいと思っていたのだ。
 蓮川にさえ疑われるようなどうしようもない言い訳までして。
 ばかな奴だと思った。
 笑いが込み上げる。必要以上に笑い出さないよう気を使うほどに。
 同居が嫌なら嫌と、はっきり言えばよかったのだ。もともと光流は図々しい性格なのだ。遠慮することなどない。
 そして、質問されていたことを思い出す。
 なんでもいい、問いに答えなければと忍は口を開きかけ、怖ろしいことを口走りそうになって笑いが引いた。
 行っちまえ、どこにでも。
 しかし、そんなことは死んでも言えない。
「忍先輩、次何にします?」
 それは随分のんきな呼びかけだった。
 蓮川が、焦点の合っていない潤んだ目でビンの中身を覗いていた。
 忍の昂ぶっていた心が、僅かではあるが冷静になる。
「今まで先輩が飲んでたのはもうないですねー…。後はウィスキーとビールくらいしか残ってませんけど」
「ビールでいい。光流、冷蔵庫開けるぞ」
 酩酊寸前の後輩に心の中で少しだけ感謝した。立ち上がって部屋の隅に置かれた真新しい単身者用冷蔵庫に向かう。それだけのことだが心の振幅を抑え込むには十分だった。
 冷蔵庫を開けるのに許可が要るようになった事実さえも、目を背けることができた。
 冷気を浴びながら缶ビールを手に取る。
「今年は帰るよ。父が病気でな、少しは親孝行するさ」
「えぇえー!?先輩のお父さんどーしちゃったのぉ!?」
 呂律の廻らない瞬の声。腕に冷たい缶を抱えて元の場所に戻る。瞬に向ける笑顔はそう苦労せずに作れた。
「お前の両親と違ってうちの父は年だからな。そういうこともある。…と、言ってもたいしたことはないんだ。すぐよくなるだろう」
「帰って大丈夫なのか」
 光流のほうを振り返る。その表情はまるで頼りなく見えた。
「あれからもう一度連絡を取って、そういうことになったんだ」
 嘘が簡単に口をついて出る。
 父親が倒れた後のことは、兄から経過だけを聞くにとどまっていた。帰って来いと言われることもなく、今年の冬休みもまた、忍はこちらに残る予定だった。
「そうか…」
 蓮川や瞬は気付いただろうか。今の光流の声に安堵が混じったことを。
 …捨てた同居人が家族の元に帰れると知って安心したか?
 その後も気の置けない会話は続く。
 その間、忍はただ祈った。早く時間が過ぎてくれ、と。

To be continued !
2006.2.18


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