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【散る桜】

 息が詰まるほどの桜吹雪、とはこういうことを言うのだろう。
 光流は体に降り積もった花びらを手で払った。しかし、努力の甲斐もなく制服はすぐにまだらになってしまう。
 緑都学園の校舎から校門を結ぶ園路は、桜の古木に囲まれていた。
 開校当事に植栽された桜は、毎年飽かずに咲き続けた。そして今もまた、下校途中の大勢の生徒達に遠慮なく花びらを降り注いでいる。
「すげぇよなあ。…呑み込まれちまいそうだ」
「安心しろ。すぐにきれいさっぱり散り去るから」
「…」
 見も蓋もない合いの手を入れられて、光流は隣の冷たい横顔を睨み付ける。忍はまるで気にすることもなく、その視線を受け流した。
 学校が始業したばかりで授業はなく、部活動も行われないとなれば、生徒達は家に向かうしかない。光流と忍もまた、2人の住処である学校の付属寮、『緑林寮』へと戻る途中だった。
 忍はいつもこの調子だ。
 光流は皮肉がちな同居人に何か一言言ってやろうと口を開く。
 その時、一際強い春の風が走った。
 大量の花びらが風になぶられ、宙に舞い上がる。
 光流の視界に映っていた校門が花びらに霞む。服に覆われていない手やら顔やらがちくちくと痛んだ。何事かと思って目を上げる。並木を挟んで向こう側に広がるグラウンドからもうもうと舞い上がった砂埃がこちらへ押し寄せていた。
 花びらと砂埃はたまたま開いていた光流の口内を容赦なく襲った。慌てた光流は息を思い切り吸い込んでしまう。
「…っかぁーーッッ、ぺっぺっぺーーっ!」
 苦しさに腰を折りひとしきり悶えた後、ふと視線を感じて上を見上げると、忍がひどく白けた表情で光流を見下ろしていた。
 光流は涙目こすり、恨みがましく連れに絡んだ。
「…何か言いたそうじゃねーか?」
「風情のないことだと思ってな」
 忍は何事もなかったかのように歩き出す。
 喉の奥がまだすっきりしない光流は、ふらつきながらも後を追った。
「風情もヘッタクレもあるか。息が止まるかと思ったぜ」
「大口開けて詰まらんことをべらべら喋り続けるからそういうことになる」
 挨拶をしてくる後輩に最高の笑顔を向けつつ、忍は言った。
 知り合いの多い光流と忍に、大勢が話しかけてくる。その全てと挨拶を交わしながら、2人は人の流れに乗って歩いた。
「なんで水撒かないのかね。スプリンクラー壊れてんの?」
「授業もない。部活もない。並木のおかげで砂も外に漏れない。なのになぜ?必要ない」
「俺達が砂まみれだろーが!」
「お前だけだろ」
 光流が見回してみると確かに、皆普通に歩いている。苦しんだのは自分だけのようだった。
 割り切れない。そう思いつつも光流は言葉を飲み込んだ。そもそも忍に小理屈で敵うわけがない。
 そしてふと思いついたことを口にする。
「…そうそう、今年の寮の新入生だけど」
 忍は無言で光流に視線を投げかけた。その物問いたげな様子に光流は話を中断する。
「…何。まだなんか言いたいことあんの?」
「無機物への恨み言はもういいのか?」
「恨みって何。つーかむしろ桜は俺好きだし」
 むしろ光流が憎たらしいと感じているのは忍に対してだ。
 忍は微笑んだ。究極に馬鹿にした笑顔で。
「無機物は砂のことだ。植物は有機物だろ」
 厳密ではないけれど、燃やして炭になるのが有機物。光流とてその程度は知っている。知ってはいても、身についていない知識はとっさにはでてこない。光流は、またもしてやられたと思う。
「わかってる、それぐらいは!」
「頭に虫でも湧いたか?なんとも春らしいな」
「わ、湧いてねー!!」
「受験は大丈夫か?」
「…うぅ」
「まあ、あと2年ある。頑張れば道が開けないこともないかもしれないな」
「う…そ、そうか」
 すっかり口数が少なくなった光流に、忍は笑顔で続ける。
「静けさの中で眺める桜は格別だな」
 周囲を埋め尽くす生徒達から発せられる喧騒の中、忍が頭上を見上げた。
 光流もつられて上を見る。
 薄紅色の塊が、天の殆どを覆っている。むせ返るような花のにおい。その咲く姿の力強さが光流の心を打つ。
 ふと、忍が身じろいだ気がした。
 光流は隣にいる同居人に視線を戻した。
「…忍?」
「なんだ」
 間髪入れずに返事がある。しかし、その姿はすでに隣にはなく、忍はいつの間にか進行方向にむかって歩き出していた。
 遅れをとった光流にその表情は分からなかった。
 ただ、忍の背中いっぱいに薄い紅が載っているのが見える。
 そして、思わずつぶやいた。
「…きれいだな」
「そうか?」
「ああ。そう思う」
 そして光流は大きく伸びをした。
「やっぱ、桜はいいねえ!今日、もどったらさ、寮の連中と花見でもすっか!」
「俺は遠慮しとこう」
 忍はまっすぐ前を向いたまま、応えた。
「何だよ。なんか用でもあんの?」
「…実は桜はあんまり好きじゃない」
 光流は目を見開く。
「へっ!?さっき桜が格別だとか言ってたじゃねーか!」
「美しいと認めることと好き嫌いは別だ」
「なんで嫌いなんだよ?きれーじゃん?一生懸命咲いてんじゃん?」
「…鬱陶しいと思わないか?」
 忍の声音が奇妙な調子を帯びた。
「え?」
「ここぞとばかりに存在を誇示して、目障りだ。散れば散ったであたりを覆いつくして、どこまでも出しゃばりで」
 微かに尖った声音で桜嫌いを主張する忍。
 光流は言いかけた反論を呑み込んだ。
 幼い子供の我がままのようにさえ聞こえる忍の口ぶりの中に、何か逆らいがたい真剣なものを感じたのだ。
「…そんなもんかな」
「そうだそういうものだ」
 やがて2人は校門を出た。
 光流はいままで歩いてきた道を振り返る。まるで雲海のような桜が学校の門扉からあふれ出ていた。
「…やっぱきれーじゃん」
 反論する気はなくなってはいたが、思わず口が開く。
「俺らがさ、卒業してもずっと残るんだよなあ。爺さんになってから見に来たら、まだこうして咲いてんのかな」
「…無理だろう」
 静かに忍が応える。
「この桜は、学校の創設から植えられているんだぜ。そろそろ寿命だよ」
「寿命?」
 思わぬ言葉に光流は驚いた。忍は言葉を続ける。
「桜は寿命が短いんだ。百年かそこらで枯れてしまう…桜はこうして毎年無闇に咲いては命をすり減らしているんだ」
「ふーん、そうなのか…」
 木に寿命。
 考えてみれば、桜とて生き物の一端なのだから、無限に命がある訳はない。しかし光流には、今ここで咲いている桜にもいつか…しかも遠くない未来にそんな運命が待ち受けているとは考えも及ばなかった。
 忍はこの美しいものを見ながら、そんなことを考えていたのか。
 多くの知り合いに別れの挨拶をしながら、2人はただ、そこに立っていた。
 どれくらいそうしていただろうか。おもむろに光流は顔を上げた。
 考え付いたのは簡単なことだった。
「じゃ、種とろうぜ!」
「は?」
 忍が胡乱げに返事しても、光流は構わなかった。
「桜の実ができたら、種とって植えようぜ!今からそこらへんの地面に植えときゃ、この桜並木はなくなんねーだろ?」
「どうしてそう短絡なんだ。そんな風に簡単に芽がでるもんか」
「でるさ。今度種取りに来ようぜ。そんで爺さんになったら確認に来るんだよ。おまえは桜がなくなっちまうほうに賭けるんだよな。決定な。俺はもちろん残ってるほうに賭けるから」
「…また勝手なことを」
「そんでもって今日は花見。忍も参加。決定な」
「…どこまで自由なんだおまえは」
 忍は眉間に深い皺をよせた。他の誰かがこの姿を見たら震え上がるのかも知れないが、光流には何と言うこともない。
「いいじゃん。どーせ暇だろ。付き合えよ」
「遊ぶことばかり考えていないで少しは落ち着きってものを…」
「俺は派手に生きるの。死なねーし。桜じゃねーもんよ。…ほれ急げって」
 光流は忍の鞄を奪い取った。
「おい、返せ…!」
「時間がなくなるだろーが!ほれ早く!」
「…まあせいぜい荷物持ちでもしてろよ」
 いつもの忍らしい憎まれ口を背に、光流は走り出す。
 きっと後ろを離れることはないのだ、と確信しながら。

FIN
2008.7.20


久しぶりの書き物です。
4月にこんなこと考えてました恥ずかしい…。
話もだらだらしていますね…。あうう。

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